大学の数学はとても楽しい

大学ではどんなことをやるのだろうと思う人も多いと思うので、今回は私の体験談を踏まえて紹介していけたらいいなと思っています。私は理工学部の数理科学科へ進学をしました。そこで身につけられるものは、大学数学とプログラムが主となっています。自分が学びたいと思えば、教職過程を取得することができるので学校の先生の免許を取ることもできます。そして就職は先生という人も多いですね。プログラムを学ぶので、プログラマーとしての仕事を選ぶ人も多いです。

大学数学は正直言って難しいです。高校の数学は暗記中心なところがありますが、大学数学は暗記をしません。深く物事を考えることが必要になります。そうなので、受験勉強の数学のようにはいきません。要するに難しいということですね。私も入学当初は意味がわからなくなってしまいました。しかし、数年頭を悩ませてみるとわかってくるもので、だんだんと理解が進んできました。

今までが暗記に頼りすぎていたのかもしれません。そうなので、数式の仕組みについて深く考えてみると理解が進みました。数式を図面に変換するなどを自分でやってみるとかなりわかりやすくなります。また、数列や三角関数の具体例を日常から探してくることで理解を進める方法もあります。数学の習得方法はひとそれぞれですから、自分で工夫をする必要があります。しかし、頑張れば必ず成果を得ることができる学問でもあります。そうなので、頑張って取り組むべきなのではないでしょうか。

私はもともと勉強が好きではありませんでした。なぜならば何時間も暗記をしなければいけなかったからです。しかし、大学数学は暗記とはちょっとかけ離れた世界が開けていたので勉強が好きになってしまいました。これからも自分でいろいろなことを勉強して切り開いていければいいなと思っています。

専門学校時代にはもっとハメを外して遊びたかった

高校を卒業する時は、バラ色の毎日楽しい自由な学生時代を想像していた。茅ヶ崎の田舎の学校に6年通って、それはそれで楽しかったけれどもっと広い世界を見て、男の子と遊んで、恋愛して・・・。あの頃、夢は限りなく広がっていた。合コン、テニス、スキー、サーフィン、バンド・・・。もう免許も取れる。仲間でドライブに行って騒いで、なんて想像していた。

まず高校を卒業してバイトから始まった。バイトをしてお金を稼ぐと言うことが、とても大人に見えて、禁止されていた高校時代から解放されたと同時に始めた。時給は安かったが、自動車免許を取りたいが為に必死で貯めた。

バイトの後は教習所通い。バイトも教習所も、学校が終わると飛んで帰らないと間に合わない。何だか高校時代に描いていた放課後と違う。しかも学校の授業は3時半で終わってしまい、専門学校だったのでサークル活動等も無く、みんなまっすぐに帰る。

たまに友人たちと「どっかに寄っていこう」と言う話になったが、喫茶店で女子同士でお茶を飲む位。何しろ3時半で学校が終わってしまうのだから、遊びに行く場所も無い。

教習所も終わって免許を取得、車も買ってもらったけれど、たまに親しい子と、慣れた道をドライブする位で行く場所が無い。どこに行くのも門限が夜の8時でどうにもならないのだ。

外国語の専門学校で、たまにディスコを借り切っての学校行事があったが、みんなは遊んでいるのに門限8時の私は、一人店を抜け出して帰宅しなければいけなかった。ディスコは好きではなかったけれど、雰囲気を楽しみたかったのに。

一人で歌舞伎町を歩いて帰ってくる方が、よほど危険かと思うんだけど。海へ遊びに行く話もあったが、男子が混じると外出禁止になった。もう過保護とか厳しいを通りすぎていると思った。

結局、高校時代に夢にみたような楽しい学生生活は夢に過ぎなかった。とてももったいない時間だったと今も思っている。学生時代はもっと羽目をはずして遊ぶべきだった。若いと言うだけで許されるし、やり直しもきくんだから。そしてもっと人(男)を見る目を養ったり、社会人になってからは出来ない経験をたくさん積極的にやるべきだったと後悔している。

女子校は少し特殊だけど楽しいです

高校の時に私立のお嬢さん学校の女子高に行くと、ほんとに女性の部活動しかないんですよ。
普通は中学までは男子がいて、野球部があったり、サッカー部があったり、バスケットボール部があったりするんですが、そういうのはなくて比較的、一般ではあまりないような部活動が多いんですよ。(同好会は除く)

アーチェリー部とか、マンドリン部とか、琴とか、フェンシング部とか、演劇部でも男子がいないので、全員女子で構成しないといけないですし…バトン部とか、女子特有のスポーツが多いんですよね。テニス部とかも、もちろんありますけど、何か静かにやるような部活動の雰囲気があります。

中学のような、ああいう活気はぜんぜんなくて、体育館もメチャクチャ立派な所に女子だけがバドミントンやったり、バトンやったりしている…というような…ただ、顧問の先生がひとりだけ男の人がいる、とか、そういう感じで、女子一色です。

二年生になったら、新しく先生として就任してくる先生が、若いあんまり年が変わらない男の人が入ってきたりしますから、ほとんど友達感覚になってしまいます。

女子校にはレズもたまにいます。女子同士でも噂になります。私たちには考えられない感覚ですから…レズはいつも手をつないで一緒にいます。異様なくらい、いつも手をつないでくっついてます。イチャイチャしています。女子校では高校の時には、そういうのはもう、みんな見ていますし、いつの間にか慣れました。

ほんとに好きなんだなーという感じで、目が愛し合ってる目をしています。レズにはみんなも全然気にせず、かまってなくて、知らん顔をしていました。離れろ!といって、離れるものでもないので…ただ、珍しいのでいい勉強にはなりました。

あと、先輩が全員女子だと、厳しいスポーツ部では、一番を取るために先輩が、これはダメだ!と思うすさんだ後輩をビシビシ説教したりとか、リンチまでは行かないけど、怖い顔をした先輩などが、よく全員並ばせてわかるまで徹底的に立たせたまま、厳しく叱っていました。私の友達はよくそういう目にあっていましたが、その子は結構影では先輩にあだ名を付けて呼んだりしていて、たしかにかわいげはなかったです。

私は一度も叱られたことはありませんでしたし、先輩が優しくしてくれてました。同じ人とは思えないくらいでしたが、先輩が力を入れて指導した人は一番メインになり、賞もきちんと取りました。女子だけでも案外、楽しいものですよ。

アナログだけど笑いと笑顔に溢れていた

現在41歳になった私ですが、学生時代は本当に楽しかった思い出が多いです。今のように携帯電話はありませんでしたし、インターネットも普及してませんでした。ポケベルだってまだ会社員の人が持ってるだけで、パソコンと言うものすら学校の一部の教室にしか置いてありませんでした。

こう考えると現在とはえらい違いで、連絡とって待ち合わせするのも大変だったなと感じますね。でも時間はゆったりと流れていたような気がします。待ち合わせだって大まかな時間しか決めてませんでしたし、どうやっても連絡とる手段がないんですから来るのをのんびり待っていたような気がします。

いつも友人たちとつるんではどうでもいいような会話で盛り上がったり、学校をさぼって友人宅に屯したりと、今考えたら何もかもが楽しかったと感じますね。

みんなでゲームして盛り上がって、飽きたら高校生にもなって鬼ごっこしたり、田舎でしたから行くお店も近所のスーパーくらいしかなくて、みんなでスーパー行って肉まん買って食べながら雪道をただ宛も無く歩いたりしました。コンビ二なんてありませんでしたから、常に流行の一歩後を行っていたなって思いますね。

夏休みになると毎日みんなで集ってただダラダラしたり、それに飽きると炎天下の中自転車こいで近所の川へ行って泳いだりと、物凄くアクティブに動き回っていたなって思います。とにかく元気だったですね。

恋愛に関しても、メールで告白なんてもちろん出来ませんでした。だってメールなんて無かったですから。ラブレターを書くか、あたって砕けろで直接告白が当たり前の時代です。私も何度も玉砕して、仲間に笑われましたね。本人からしたら笑い事じゃないんですけどね。

現在の学生たちとは全く違うアナログな学生時代でしたが、今よりも笑顔と笑い声が溢れていた、そんな楽しい時代だったなと今は感じています。

打ち込んだ野球と日本史

学生時代はお気楽でした。勉強は好きな日本史以外は殆ど寝ていました。毎日クラブ活動に明け暮れていました。今だから言えますが、戻れるなら戻って勉強をし直したいとは思っています。

でも、最近好きな仕事をやらせて貰える部署に異動になって、その考えは消えました。勝手な物です(苦笑)。そうなると学生時代は良い思い出に変わってしまいます。本当に不思議です(笑)。

学生時代に勉強しなくなったのは、周りが殆ど勉強しなかったからです(苦笑)。ところがそれで悩んだりしなかったです。経済がもの凄く右肩上がりで将来は安泰だと約束されていた時代だったので。

周りもあまりうるさくは言わなかったです。どこか真剣さにかけていました。後から少し後悔はします。それでも、悩まなかったのは勉強しなくても半分位は点数が取れていました。

テストはまずまずだったので。学期末の通信簿は10段階で5か6が多かったです。日本史だけは9でした。どういう訳か日本史は大好きでした。将来は日本史の教師になりたいと思っていました。

先生もあまり何も言わずに自己責任でした。有り難かったですが、本当はもう少しアドバイスが欲しかったなと今になって考えます。

クラブ活動ばかりやっていました。そんなに熱心にやってはいませんでしたが、一応高校球児でした。あの頃は高校野球は一種のステータスでした。花形クラブでした。

ヘタクソで3年生になって始めてレギュラーになれました。でも、最後の1年間は必死になってやりました。何か一つだけでも達成感が欲しいと思って頑張りました。

試合には負けましたが3年間やって来られたのが唯一の思い出です。あの苦しさを味わっていたので少し位の苦労は平気になりました。役に立って良かったです。