卒論提出後のドライブ旅行

学生時代のことで一番思い出に残っているのは、卒業間際の3月に5.6人で行った1泊旅行です。
それまでに卒論も通り、就職先も決まっていましたから気持ちは楽なもので、あとは遊ぶだけといった感じでした。
同じ学部の男子達が計画し、女子の何人かに声を掛けてくれました。全部で5人だったと思います。

大学近くの喫茶店で待ち合わせをし、レンタカーのワゴンで出発。箱根に向かいました。でも、男子たちは途中で相談して、予め取っておいた宿をキャンセルしていました。車の運転が好きな男子がずっと運転していました。
彼は体育会の自動車部に所属していたこともあるので、運転も上手いし、性格的にも超が付くほど真面目だったので、みんな安心して彼に運転を任せていました。

途中、暇になった私が運転を代わりましたが、その彼は余程ハラハラしたのでしょう。ふと横を見ると、彼の顔が私の顔のすぐ横にあってギョッとしました。彼はあまりに心配で、私の目線で運転を見ていたのです。おまけに私にずっと声を掛けていたのですが、それがまた今となると笑えます。

「いいよ、大丈夫だよ。いま、この道路は○○さん(私のこと)一人で走っていると思っていいからね。他の車のことは
考えなくていいからね」と。

こんなことを本当に言う人がいるんですね。確かに励ましてくれているのですが、心の中と正反対のことを言い続けていました。すぐに彼に運転を変わりましたが、心底ほっとしたように見え、後ろの席に戻った私はムッとしました。

箱根に着いたら、観光案内所で民宿を紹介してもらいました。案内所の方が親切で、学生さん達だから安くして、と言ってくれました。10畳ほどの広さの部屋で夜は少し飲みましたが、1時になるかならないかでみんなで雑魚寝。
結構みんな真面目でした。

翌日は小涌園でスケートを楽しみました。私はあまり得意ではないので、端の方でヨチヨチ歩くのに等しかったですが、1人の男子がつきっきりで教えてくれたので、段々手すりを離して滑れるようになり、楽しかったです。

帰りは運転手の彼が一人一人を自宅や自宅のすぐそばまで送ってくれました。最後までいいヤツでした。

免許や資格、友人など一生の宝物が出来る大学時代

学生の時には税金支払わないでよかったので、バイト代は全て残っていたので、もしかすると社会人になる前は、結構リッチな生活をしていたかもしれませんね。

大学生での2年間はお金がないし、大学の授業が多くて本当に苦しい日々でしたね。バイトのお金は飲み会や、欲しいものに全て使えたので本当に後半2年は楽しかったですね。

部活動も3年間は維持して続けていましたし、バイトもつづけましたし、本当に忙しい日々で良かったと思っています。
学生生活でもっとしなければいけないと思ったのが、免許や資格を取れば良かったなと思いましたね。

学生の忙しいという時間の取り合いは、なんとでもなる時間の忙しさです。大学生の時に取れる免許は、まずは運転免許は必要になってくるでしょう。そのあとに必要になってくるのが、教員免許、でしょう。そこからは自分の好きな免許を、出来る限り多くの免許を取れるように、頑張って行きましょう。看護学生なら当然、資格は看護師資格ですよね!(参考サイト:看護師給料年収アップスクール よく理解できます)

あと、思い出に残っているのが、彼女が出来て旅をしたことは思い出に残っていますね。彼女が出来ると、生活は一変して彼女が中心の生活になってしまいます。良いことも悪いこともありますが、今考えると子供が出来た時に似ているようにも感じますね。

学生時代の付き合いは、大学だけの付き合いもありますし、そのあと一生モノの付き合いもあったりします。彼女は学生時代だけの付き合いになりましたが、男の友達は今もたまにあったりするようにしています。

大学生活の部活動だけではなく、私生活も一緒に生活していたということで、あの時の4年間は非常に大切なモノだったと言えるでしょうね。これからも学生の時に出会った友達は、大事にして行かないといけないと思っています。

色あせない思い出

誰にでも学生時代の大切な思い出はあると思います。私にももちろんあります。
高校時代は吹奏楽部でした。中学でも吹奏楽部だったので、高校でも迷わず吹奏楽部に入部しました。
田舎の高校だったので部員数も少なくアットホームな雰囲気でした。
演奏のレベルもお恥ずかしいのですが正直言って低く、コンクールなどでは銀賞や銅賞ばかりでした。

毎日毎日顔を合わせて一緒に練習し、テスト期間中も何かと部室に集まり、夏休みや冬休みなどの休み中もほとんど部活で過ごしました。コンクール合宿などで寝食を共にしたこともあります。あの頃の私は「吹奏楽」が一番の生活をしていました。

そんなとても濃い時間を過ごした仲間達との思い出はきっと忘れることは出来ないと思います。練習以外でもたくさんの事を話し、おバカなことをやっては大笑いし楽しい思い出の方が多いです。もちろん楽しい事ばかりではありませんでした。先輩に怒られもしましたし、厳しい指導を受け「何でここまでしなければいけないんだ」と思う事もありました。部員同士のトラブルの間に入り悩んだり、泣いたりしたこともありました。

それでも当時は毎日毎日一生懸命に生きていたと思います。今はもうあの頃のような一生懸命さはありません。だから、あの頃の思い出は今でも輝いていて良い思い出なんだと思います。そんな大切な仲間達ですが、もう何年も会っていません。今はどうしているのか分からない人もいますが、SNSで繋がることが出来た仲間とは今でも近況を報告し合っています。

たまに当時、一生懸命練習した曲を動画サイトなどで視聴し、懐かしい気持ちに浸っています。色々なことを思い出し「あぁ、若かったなぁ」などとちょっぴり気恥ずかしくもなったりもしますが、それでもやはり良い思い出だという気持ちが強いです。「色褪せない思い出」というのはこういうことを言うのかなと感じています。

アルバイトをしていた友人の話を信じて

学生時代は本当にバカだった。たまり場のアパートで大騒ぎして大家さんに乗り込まれたり、酒を飲めば電柱に登ったり、ろくな事しない仲間といつもフラフラ遊んでいた。

ある日いつものようにアパートでウダウダ話をしていて深夜になった頃。バイト先のドーナツ屋から帰ってきたNが、勝手に持ってきたあまり物を食べながらバイト先の話を始めた。最初はあの子がカワイイとかブスがうるさいとか言ってたので誰も相手にしなかったのだけど、閉店間際のドーナツの話になって、そこにいた全員の目が真剣になった。

Nの話だと、毎日閉店時間前になると売れずに残ったドーナツはカラスに荒らされないよう厳重にビニール袋に入れて棄てられるという。
「普通にキレイな袋に入れて棄てちゃうからもったいないんだ。」
Nの言葉に全員の心がひとつになった。
「よし、ドーナツ救出作戦だ!」
別にドーナツは困っていないと思うのだけど、私もヒマなので車に乗り込んだ。駅前に急ぐとドーナツ店は丁度良いタイミングで弊店作業中だった。

暫く待っていたら、例のカワイイ女の子がドーナツが入っているらしい袋を持って店から出てきた。外の所定のゴミ捨て場に袋を置いたのを確認すると、Nが取りに走り、2つの袋を車に積み込んだ。N以外は全員腹ペコで、初めての救出作戦に尋常でなく興奮していた。途中のコンビにでジュースを買い、猛烈スピードでアパートに戻ると、さっそく袋を開けてドーナツパーティーは始まった。Nのこのひと言で。

「うえ、生ごみ」

皆がフリーズした。
そう、我々は深夜にわざわざ車を飛ばして生ごみを救出してきたのだった。結局2つの袋は両方生ゴミだったので、我々はひとつもドーナツを食べる事が出来なかった。アパートの主は空腹で怒り狂い、Nにコンビニのおにぎりを20個買ってこさせた。あのおにぎりの味を私は忘れない。ドーナツより美味しかったように思う。

青春時代の私を支えてくれたアーティスト

学生時代と聞けばやはり「青春だったなぁ」などと思い出す人も多いと思います。
私の中学、高校時代は地味な学生でしたが、友人や先生にも恵まれ、部活に精を出す毎日でした。それら日々はまさに私にとっての「青春」でした。

今でも大切に思う友人は中学、高校時代に仲良くなった人達です。地味で部活一筋、それなりに恋は経験しましたが夜遊びなどはせず、比較的真面目な学生生活だったと思っています。両親からすれば危なっかしい面もあったかもしれませんが…。

そんな私ですが、私の青春を語る上でもう一つ忘れてはいけないものがあります。当時、私は某アーティストの大ファンでした。中学生の時に、某ドラマのオープニングで流れていた曲に聴き惚れてしまったのがきっかけでした。色々調べた結果、二人組のアーティストでオープニングで流れていた曲がデビュー曲だったことが分かりました。

それからはシングルが発売される度にCDショップへ買いに行っていました。デビューしてからしばらくは音楽番組などへの出演も度々していたので、それも毎回チェックしていました。音楽番組へ出演したりもしていましたが、実際のところは売り上げは良くなく人気もあまりありませんでした。

周りの友達は皆、男性アイドルグループやビジュアル系ロックバンドなどのファンでした。何故、そんなにもそのアーティストが好きだったかというと、歌詞が独特で妙に惹かれてしまったことが一番大きいと思います。もちろん曲調も好きでしたが、掛詞だったり言葉遊びが面白く、鋭いところをついてくるような歌詞が多くハッとさせられたり、元気にさせられたりしました。

学生時代は自分自身の事や友人同士の事、家族の事など毎日毎日悩んでばかりいましたが、そんな時に彼らの曲を聴くととても元気になることが出来ました。あの頃に彼らと出会っていなければ、今の私はないでしょう。そう思える程、彼らの作る音楽は私に良い影響をたくさん与えてくれました。

数年前、そのアーティストは解散してしまいましたが、今でも当時を懐かしく思いながら彼らの曲を聴いています。

大学の数学はとても楽しい

大学ではどんなことをやるのだろうと思う人も多いと思うので、今回は私の体験談を踏まえて紹介していけたらいいなと思っています。私は理工学部の数理科学科へ進学をしました。そこで身につけられるものは、大学数学とプログラムが主となっています。自分が学びたいと思えば、教職過程を取得することができるので学校の先生の免許を取ることもできます。そして就職は先生という人も多いですね。プログラムを学ぶので、プログラマーとしての仕事を選ぶ人も多いです。

大学数学は正直言って難しいです。高校の数学は暗記中心なところがありますが、大学数学は暗記をしません。深く物事を考えることが必要になります。そうなので、受験勉強の数学のようにはいきません。要するに難しいということですね。私も入学当初は意味がわからなくなってしまいました。しかし、数年頭を悩ませてみるとわかってくるもので、だんだんと理解が進んできました。

今までが暗記に頼りすぎていたのかもしれません。そうなので、数式の仕組みについて深く考えてみると理解が進みました。数式を図面に変換するなどを自分でやってみるとかなりわかりやすくなります。また、数列や三角関数の具体例を日常から探してくることで理解を進める方法もあります。数学の習得方法はひとそれぞれですから、自分で工夫をする必要があります。しかし、頑張れば必ず成果を得ることができる学問でもあります。そうなので、頑張って取り組むべきなのではないでしょうか。

私はもともと勉強が好きではありませんでした。なぜならば何時間も暗記をしなければいけなかったからです。しかし、大学数学は暗記とはちょっとかけ離れた世界が開けていたので勉強が好きになってしまいました。これからも自分でいろいろなことを勉強して切り開いていければいいなと思っています。

専門学校時代にはもっとハメを外して遊びたかった

高校を卒業する時は、バラ色の毎日楽しい自由な学生時代を想像していた。茅ヶ崎の田舎の学校に6年通って、それはそれで楽しかったけれどもっと広い世界を見て、男の子と遊んで、恋愛して・・・。あの頃、夢は限りなく広がっていた。合コン、テニス、スキー、サーフィン、バンド・・・。もう免許も取れる。仲間でドライブに行って騒いで、なんて想像していた。

まず高校を卒業してバイトから始まった。バイトをしてお金を稼ぐと言うことが、とても大人に見えて、禁止されていた高校時代から解放されたと同時に始めた。時給は安かったが、自動車免許を取りたいが為に必死で貯めた。

バイトの後は教習所通い。バイトも教習所も、学校が終わると飛んで帰らないと間に合わない。何だか高校時代に描いていた放課後と違う。しかも学校の授業は3時半で終わってしまい、専門学校だったのでサークル活動等も無く、みんなまっすぐに帰る。

たまに友人たちと「どっかに寄っていこう」と言う話になったが、喫茶店で女子同士でお茶を飲む位。何しろ3時半で学校が終わってしまうのだから、遊びに行く場所も無い。

教習所も終わって免許を取得、車も買ってもらったけれど、たまに親しい子と、慣れた道をドライブする位で行く場所が無い。どこに行くのも門限が夜の8時でどうにもならないのだ。

外国語の専門学校で、たまにディスコを借り切っての学校行事があったが、みんなは遊んでいるのに門限8時の私は、一人店を抜け出して帰宅しなければいけなかった。ディスコは好きではなかったけれど、雰囲気を楽しみたかったのに。

一人で歌舞伎町を歩いて帰ってくる方が、よほど危険かと思うんだけど。海へ遊びに行く話もあったが、男子が混じると外出禁止になった。もう過保護とか厳しいを通りすぎていると思った。

結局、高校時代に夢にみたような楽しい学生生活は夢に過ぎなかった。とてももったいない時間だったと今も思っている。学生時代はもっと羽目をはずして遊ぶべきだった。若いと言うだけで許されるし、やり直しもきくんだから。そしてもっと人(男)を見る目を養ったり、社会人になってからは出来ない経験をたくさん積極的にやるべきだったと後悔している。

女子校は少し特殊だけど楽しいです

高校の時に私立のお嬢さん学校の女子高に行くと、ほんとに女性の部活動しかないんですよ。
普通は中学までは男子がいて、野球部があったり、サッカー部があったり、バスケットボール部があったりするんですが、そういうのはなくて比較的、一般ではあまりないような部活動が多いんですよ。(同好会は除く)

アーチェリー部とか、マンドリン部とか、琴とか、フェンシング部とか、演劇部でも男子がいないので、全員女子で構成しないといけないですし…バトン部とか、女子特有のスポーツが多いんですよね。テニス部とかも、もちろんありますけど、何か静かにやるような部活動の雰囲気があります。

中学のような、ああいう活気はぜんぜんなくて、体育館もメチャクチャ立派な所に女子だけがバドミントンやったり、バトンやったりしている…というような…ただ、顧問の先生がひとりだけ男の人がいる、とか、そういう感じで、女子一色です。

二年生になったら、新しく先生として就任してくる先生が、若いあんまり年が変わらない男の人が入ってきたりしますから、ほとんど友達感覚になってしまいます。

女子校にはレズもたまにいます。女子同士でも噂になります。私たちには考えられない感覚ですから…レズはいつも手をつないで一緒にいます。異様なくらい、いつも手をつないでくっついてます。イチャイチャしています。女子校では高校の時には、そういうのはもう、みんな見ていますし、いつの間にか慣れました。

ほんとに好きなんだなーという感じで、目が愛し合ってる目をしています。レズにはみんなも全然気にせず、かまってなくて、知らん顔をしていました。離れろ!といって、離れるものでもないので…ただ、珍しいのでいい勉強にはなりました。

あと、先輩が全員女子だと、厳しいスポーツ部では、一番を取るために先輩が、これはダメだ!と思うすさんだ後輩をビシビシ説教したりとか、リンチまでは行かないけど、怖い顔をした先輩などが、よく全員並ばせてわかるまで徹底的に立たせたまま、厳しく叱っていました。私の友達はよくそういう目にあっていましたが、その子は結構影では先輩にあだ名を付けて呼んだりしていて、たしかにかわいげはなかったです。

私は一度も叱られたことはありませんでしたし、先輩が優しくしてくれてました。同じ人とは思えないくらいでしたが、先輩が力を入れて指導した人は一番メインになり、賞もきちんと取りました。女子だけでも案外、楽しいものですよ。

アナログだけど笑いと笑顔に溢れていた

現在41歳になった私ですが、学生時代は本当に楽しかった思い出が多いです。今のように携帯電話はありませんでしたし、インターネットも普及してませんでした。ポケベルだってまだ会社員の人が持ってるだけで、パソコンと言うものすら学校の一部の教室にしか置いてありませんでした。

こう考えると現在とはえらい違いで、連絡とって待ち合わせするのも大変だったなと感じますね。でも時間はゆったりと流れていたような気がします。待ち合わせだって大まかな時間しか決めてませんでしたし、どうやっても連絡とる手段がないんですから来るのをのんびり待っていたような気がします。

いつも友人たちとつるんではどうでもいいような会話で盛り上がったり、学校をさぼって友人宅に屯したりと、今考えたら何もかもが楽しかったと感じますね。

みんなでゲームして盛り上がって、飽きたら高校生にもなって鬼ごっこしたり、田舎でしたから行くお店も近所のスーパーくらいしかなくて、みんなでスーパー行って肉まん買って食べながら雪道をただ宛も無く歩いたりしました。コンビ二なんてありませんでしたから、常に流行の一歩後を行っていたなって思いますね。

夏休みになると毎日みんなで集ってただダラダラしたり、それに飽きると炎天下の中自転車こいで近所の川へ行って泳いだりと、物凄くアクティブに動き回っていたなって思います。とにかく元気だったですね。

恋愛に関しても、メールで告白なんてもちろん出来ませんでした。だってメールなんて無かったですから。ラブレターを書くか、あたって砕けろで直接告白が当たり前の時代です。私も何度も玉砕して、仲間に笑われましたね。本人からしたら笑い事じゃないんですけどね。

現在の学生たちとは全く違うアナログな学生時代でしたが、今よりも笑顔と笑い声が溢れていた、そんな楽しい時代だったなと今は感じています。

打ち込んだ野球と日本史

学生時代はお気楽でした。勉強は好きな日本史以外は殆ど寝ていました。毎日クラブ活動に明け暮れていました。今だから言えますが、戻れるなら戻って勉強をし直したいとは思っています。

でも、最近好きな仕事をやらせて貰える部署に異動になって、その考えは消えました。勝手な物です(苦笑)。そうなると学生時代は良い思い出に変わってしまいます。本当に不思議です(笑)。

学生時代に勉強しなくなったのは、周りが殆ど勉強しなかったからです(苦笑)。ところがそれで悩んだりしなかったです。経済がもの凄く右肩上がりで将来は安泰だと約束されていた時代だったので。

周りもあまりうるさくは言わなかったです。どこか真剣さにかけていました。後から少し後悔はします。それでも、悩まなかったのは勉強しなくても半分位は点数が取れていました。

テストはまずまずだったので。学期末の通信簿は10段階で5か6が多かったです。日本史だけは9でした。どういう訳か日本史は大好きでした。将来は日本史の教師になりたいと思っていました。

先生もあまり何も言わずに自己責任でした。有り難かったですが、本当はもう少しアドバイスが欲しかったなと今になって考えます。

クラブ活動ばかりやっていました。そんなに熱心にやってはいませんでしたが、一応高校球児でした。あの頃は高校野球は一種のステータスでした。花形クラブでした。

ヘタクソで3年生になって始めてレギュラーになれました。でも、最後の1年間は必死になってやりました。何か一つだけでも達成感が欲しいと思って頑張りました。

試合には負けましたが3年間やって来られたのが唯一の思い出です。あの苦しさを味わっていたので少し位の苦労は平気になりました。役に立って良かったです。